建築分野におけるAI利用概観
2021年6月 1日
カテゴリー:レポート
コンピュータ黎明期から得られる教訓
建築の構造計算や構造解析にコンピュータが利用され始めたのは今から半世紀ほど前のことである。当時、建築に限らず多くの産業でコンピュータ導入が進み仕事が奪われる懸念からストライキが起きていた時代である。にもかかわらず、建築分野ではルーチン的な仕事から自らを解放しようと建築の技術者がプログラム言語の習得に努め自ら開発を積極的に進めていった(和田,2000)。このコンピュータ利用の黎明期の時代では、建築分野の内部から業務変革を起こし新しい常識を作り出そうとしたのである。
コンピュータ利用による恩恵を受ける一方で、同時にまたその新しい技術とそれを扱う側の倫理についても指摘されている(服部,1971)。機械が提示した結果を人の意思決定にどのように正しく用いるかというテーマは現代にも共通する重要な課題である。この時代の技術者のチャレンジ精神と姿勢をAI利用の黎明期とも言える現代の我々も見習うべきである。
建築情報マネジメントとAI利用
建築業務の省力化は現代においても喫緊の課題となっている。AI技術を実効性のある道具として利用するためにはその技術的な特性を踏まえた上で問題を整えることが重要となる。AI技術は決して単独で価値を生むものではなく、あくまでも情報マネジメントの円滑な運用を実現するための一つの部品としての位置づけることが必要である。
建築分野における現代の情報マネジメントには、物理的な有形物としての建築情報とその空間で営まれる機能的な無形物としての建築情報の両面を融合させることが不可欠である。これらの異なる形式の情報の記述方法を定義しバーチャル空間に転写あるいはバーチャル空間から実空間へ逆転写することで円滑な情報マネジメントが実現される。組織やプロジェクトで扱う様々な情報とその取扱いのプロセスからどのように人が意思決定を行いその結果の伝達が支援されると価値を生むか、その領域を発見しAI技術を適切に割り当てることが求められる。
意思決定の種類に分類した建築分野のAI利用事例
そもそも包括的なAIの概念を特定分野の課題に合わせた実効性のある技術として整理するような応用分野の研究は未成熟である。そのため建築分野における適切な問題設定のためには建築側がAI利用に関する形式化された知見と共通認識を持つことが重要である。人による意思決定の種類ごとにデータ分析の現場適用のプロセスを分類したものとして「現場の能力を引き出すデータ分析の6つの型」がある (河本,2019) 。本稿ではこの類型のうち5つの型に基づき建築分野の具体的な事例を挙げながらAI利用について概観する。
1 高精度な予測・判定(定型選択型)
建物の状態を外観から推定すること、施設の利用状況を予測して運転制御を行うことなど、日常的に繰り返される定型的な判断をAIが支援するタイプの利用方法がある。人が行った過去の多くの例示から、規則性を見つけAIが模倣することで新たな事象に対して結果を予測・判定を行う仕組みを実現しようとする取り組みがされている。当社では建物の物理的な経年変化を目視から確認する点検業務や、施設の被害状況に応じて対応優先度を判定することを目的としたコンサルティング業務やシステム開発の実績がある。AI技術の役割はデジタルデータから先の未来の数値を予測すること、ある出来事の発生確率を当てること、状態を推定すること、機器制御を自動化することである。その精度が業務で求められる性能目標をクリアできているかがポイントとなる。さらにAIが学習した規則を汎用的な仕組みとすることや予測・判定の速度を上げることによってアドホックに現場対応を行うなど、その応用範囲についても考慮に入れる必要がある。
2 最適解の発見(定型計画型)
プロジェクトの工程計画や人員配置計画、機器の運転計画、配送計画など、現場のオペレーション管理のために日々、計画立案を行う業務を支援するタイプの利用方法がある。これまで人の経験や勘を働かせて属人的に実施している計画作業をAIに置き換える取り組みがされている。当社では施設内の経路探索の技術紹介とそれを応用した屋内ナビゲーションのサービス提供などの実績がある。AI技術の役割は、ある制約条件下で、コストや稼働率などの特定の評価指標を最小化(もしくは最大化)するための最適な答えを提示することである。建築の複雑に絡まるオペレーションの判断をいかに定式化できるか、またAIの提示した結果が現場担当者の感覚と合うかどうかがポイントとなる。
3 結果の比較評価(非定型選択型)
設計与条件や要望事項を踏まえて設計案を複数検討し、適したものを選択していくプロセスは施設の方向性を決める極めて重要な活動である。従来、複雑かつ曖昧な基準のもとで意思決定されるプロセスを、適切な選定基準に指標化し、それに基づく候補を自動的に提示する取り組みがされている。当社では企画段階における複数棟の配置計画におけるAI利用の業務実績がある。AI技術の役割は膨大な数の案を自動生成し、その結果を比較可能な評価指標に合わせて提示することでその選択による帰結の優劣を判断できる材料を提示することである。このように検討案を創り出すクリエイティブな領域はAIが不得意であるという印象をもたれるかもしれないが、ある決められた条件下で複雑な配置の組合せや形状のパターンを導くために網羅的に解を探索することはAIが得意とする分野である。
4 問題の原因追究(原因解明型)
過去に蓄積された文書情報から、その事例に含まれる原因や対策を構造的に整理し知識を共有することへのニーズは古くからある。デザインレビューや施工不具合の記録、竣工後のクレーム情報が発生する度に定型・非定型の形式で報告書として記録され、個別の帳票として保管しているのが現状である。これらの情報マネジメントの方法は将来のために知識を展開するための情報源としては極めて可用性の低い状態である。業務のあり方を変革する中で、AI技術に期待される役割は、問題の因果関係を発見し原因究明のために要因を構造的に把握していくことである。当社では、現場で発生した様々な失敗事例に対しての真因分析と類似の問題を予見することを目的としたコンサルティング業務やシステム開発の実績がある。この取組みをさらに発展させ過去プロジェクトの類似例の検索やユーザにフィットした候補を提示するレコメンドシステムを目指す動きもある。
5 仮説発見・検証(仮説試行型)
新たな施策を実社会に導入するにはその影響やリスクの事前のシミュレーションが欠かせない。災害や都市問題などの予測困難な社会現象をコンピュータ上でモデル化することで、新しい施策に対する効果を検証することや複雑な現象のメカニズムを理解する取り組みがされている。当社では火災避難時の行動をコンピュータ上でシミュレーションすることで有効な避難時誘導の方法の検討や施策の周知度による影響を予測するなどのコンサルティング業務の実績がある。その結果を建物や都市のモデルに可視化することによって、様々な立場の関係者とも情報共有を行い現象への理解をより深めることにも役立つ。
コンピュータ黎明期から得られる教訓
建築分野におけるコンピュータ利用の黎明期から現代までに様々な業務へIT適用が進展したことでより少ない人数で多くの業務を処理することができるようになった。当初は人が行うべきでない単純な作業をAIに置き換えることによって、創造的な活動を行う時間を多く確保することを目指した。これにより多大な恩恵を受ける一方で、当初の期待とは異なり業務効率化が実現したことによって人員削減へと舵が切られ、組織が小規模となった分野もあった。人とAIとの共存のあり方についてその技術的な適用性の検討だけでなく、あるべき業務や組織の姿を充分に事前に共有することも重要である。AI利用によって人の本来の仕事を奪う形になってはならない。現代に生きるわれわれがその活用を考えるうえで、過去の出来事から得られる教訓を大切にしていきたい。
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〔参考文献〕
和田 章,"建築分野におけるコンピュータ利用の現状と展望",コンクリート工学,Vol.38,No.1,8-11,2000.1.
服部 正,"振出しに戻ろう(ユーザーの責任はどこに)",コンピュータ飼育術, 朝日新聞社,pp.218-225, 1971年
藤本 隆宏,"建築物の機能と構造,建築ものづくり論", PP.44-48, 有斐閣,2015/7/9
河本 薫,"現場の能力を引き出す データ分析の6つの型",ハーバード・ビジネス・レビュー 2019年 6 月号,ダイヤモンド社,pp.63-75, 2019/5/1
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